2017年02月17日

ソ連側の装備規定

 当イベントに参加される方は、当日までに規定に合った装備(被服、装備、銃器等)をご用意して頂きます。
 また、エアーガンを使用した戦闘再現を行いますので、被服、装備、銃器等の他、眼球防護具を用意して頂きます。
 眼球防護具に関しては後日改めて使用可能な物を記載しますが、形状が眼鏡型で色が透明な物のみ使用可能とします。

 先日のドイツ側の規定につづき、本日のブログではソ連側の規定を発表致します。
 ドイツ側は「募集ユニット」、「被服規定」、「装備規定」、「銃器規定」に分けましたが、ソ連側は纏めて「装備規定」とします。
 参加される方は、よくお読みになり、当日までに規定に合う被服、装備を揃えてご参加下さい。
 尚、民間服に関しましては、現代の背広で代用等のあまりにも酷い例が多い為、事前審査が必要です。
 民間服で参加を予定されている方は画像をUPして審査を受けてください。

 

 ★装備規定★

 【パルチザン概説】
 1941年段階のパルチザンは、主に都市住民・コムソモール員・退役軍人・НКВД・赤軍予備役兵からなる分遣隊を戦線後方へ潜入させたものであり、地元住民の支持を得られず1942年春までにほとんど壊滅してしまったようです。
 ドイツ軍に絞首刑にされた有名な女性パルチザン、ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤもモスクワのコムソモール員でしたね。

 ドイツ占領地でのパルチザン戦が本格化するのは1942年からです。
 占領地ではドイツによる過酷な統治に耐えかねた地元住民が森に逃げ多数のパルチザン団を結成しており、また赤軍敗残兵達もそれに加わり、軍隊式の規律と訓練を持ち込みました。
 1942年5月にソヴィエト政府はパルチザン活動の参謀本部を設立、9月には人民委員会防衛命令189「パルチザン活動の任務について」が公布され、国家によるパルチザン活動の認可と支援、統制が本格化していきます。
 今回我々が行うイベントは、この1942年段階の設定です。

 今回のパルチザン戦イベントで募集するのは、ベラルーシのパルチザン(赤軍敗残兵・地元パルチザンの入り混じったもの)および市民(村の住人)となります。
 以下、服装規定を解説しますので、参照願います。
 不明な点につきましては、遠慮なく質問して下さい。


 【赤軍敗残兵】
 主にバルバロッサ作戦時に包囲され取り残された赤軍兵士、脱走して来た捕虜等。
 赤軍より前線を超えて派遣された将校も含む。
 1941(~42)年の赤軍軍装を主体としますが、民間被服・独軍鹵獲品などを程良く混ぜるとパルチザンらしさが出るのではないでしょうか。

 <被りもの>
 ピロートカ(略帽)・ウシャンカ(耳あて付き毛皮帽)・フラーシュカ(制帽)・シュレーム(ブジョンノフカ)・クバンカ(コサック毛皮帽)等全て
 1941(~42)年に存在した形式のもの(戦前規定のものでも可)
 旧ソ連諸国製のモデル品を推奨します。
 戦車帽・飛行帽・空挺帽も使用例はありますが、要相談。
 ピロートカは80年代までのもの、フラーシュカは50年代までのもので代用可。
 ウシャンカは50~60年代製で代用が好ましいが、70~80年代製でも可とします(洗濯して型崩れさせるといいかも)
 赤星帽章は付けても付けなくても可。
 帽章を付けるなら戦中タイプ(星に鎚鎌のみ)にして下さい。
 斜め赤布はウクライナ・クリミアのパルチザンに多く見られますが、ベラルーシでは比較的使用例が少ないと思います。
 ハンチング・毛皮帽等民間帽使用可。
 ヘルメット使用不可。
 独軍鹵獲品の使用例はあまり見かけませんので、とりあえず使用不可とします。
 ただし、略帽等使用例が無いわけではないので、どうしても使用したい場合は要相談(その場合、徽章は全て外して下さい)

 <軍服>
 兵下士官・将校共に1935年式野戦服(折襟のいわゆるギムナスチョルカ)ベース
 全て1941(~42)年に存在した形式のもの(戦前規定のものでも可)
 旧ソ連諸国製のモデル品を推奨します。
 Hiki・スティーブ製はあまりお勧めできませんが、襟ホックなど付けてリアルにすると良いかもしれません。
 階級章(襟章・将校袖章)は40年式・41年式野戦用襟章どちらでも可。
 階級章は付けても付けなくても可(付けないほうがパルチザンらしいかも)
 襟布は付けても付けなくても可(同上)
 戦車兵ツナギ・アメーバパターン迷彩服・空挺ツナギも使用例はありますが、要相談。
 M36・40・警察服等独軍鹵獲品使用可(徽章は全て外して下さい)
 1943年式立襟服・肩章は使用不可。
 旧日本軍軍袴使用不可。

 <防寒服>
 シーネリ(コート)・チェラグレイカ(綿入れ服)・シューバ(毛皮外套)・作業用防寒コート・戦車兵皮ハーフコート等
 全て1941(~42)年に存在した形式のもの(戦前規定のものでも可)
 旧ソ連諸国製のモデル品を推奨します。
 階級章(襟章・将校袖章)は40年式・41年式野戦用襟章どちらでも可。
 階級章は付けても付けなくても可(付けないほうがパルチザンらしいかも)
 兵用シーネリはモデル品推奨ですが、80年代までのものでも代用可といたしましょう。
 チェラグレイカは襟付き・襟なしどちらでも可(襟なし推奨)、50~60年代のもので代用可。
 チェラグレイカ推奨!
 民間防寒服使用可(できるものなら)
 コート等独軍鹵獲品使用可(徽章は全て外して下さい)

 <下着>
 80年代までの下着上下(長袖シャツ・ズボン下)で代用可。
 旧ソ連諸国製のモデル品を推奨します。
 シャツ等独軍鹵獲品使用可。
 民間シャツ(当時の形式のもの)使用可。
 靴下よりパルチャンキ(足巻き布)推奨。
 Tシャツは襟元から見える可能性が高いので、不可というより禁止、厳禁!
 ランニング(白等)ならば使用可です。
 絶対に露見しない部分の下着は現代品でOKです。

 <靴>
 サパギー(長靴)・バチンキ(アンクルブーツ)
 サパギーは80年代までのソ連軍兵下士官用合皮・将校用皮革で代用可(靴底は妥協します)
 Hikiのは人民解放軍戦車兵ブーツそのままなのですが、まあ・・・いいかな?
 バチンキはモデル品がありますが、手に入りにくいかも。
 バチンキの場合はゲートル推奨(無くても可)
 長靴・アンクルブーツ共に独軍鹵獲品使用可。
 旧日本軍軍靴使用不可。

 <装備>
 1941(~42年)に存在した形式のもの(戦前規定のものでも可)
 軽装推奨、ベルトに弾薬盒1個と銃剣かナイフ、手榴弾くらいで構いません。
 行軍装備だと他のものをヴェシュメショク(ナップサック)にまとめる感じですかね。
 水筒やシャベルは数人に1人でもいいです。
 全て旧ソ連諸国製モデル品を推奨、Hikiはなるべく避けた方がよろしいかと。
 戦後モシンナガン合皮弾薬盒代用可。
 戦後PPShマガジンパウチ代用可。
 ベルト・弾薬盒・銃剣など独軍鹵獲品使用可(ベルトバックルの鍵十字は削ってほしいけど、やらなくてもいいですw)
 戦後兵用プレートバックルベルト使用不可。
 戦後将校用真鍮金具ベルト使用不可。
 旧日本軍帯革使用不可。

 <銃器>
 1941~42年に東部戦線に存在した赤軍・独軍のもの全て使用可能です。
 しかし、レンドリース品とMKb42やFG42等ポピュラーでない物は不可とします。
 スコープ類の装着は禁止です。
 赤軍正規軍と違い、将校が短機関銃・兵が拳銃を持っていても構いません。
 小銃と短機関銃・機関銃の比率も考えなくて良いと思います。
 小銃推奨ですが、短機関銃しか持っていない人はそれでも可能です。
 小銃と短機関銃の両方を持っている人はで荷物に余裕がある方はできればどちらもご持参下さい。
 状況によって短機関銃の使用を制限して浅慮バランスをとる場合があります。

 <まとめ>
 パルチザンは規定に縛られないので何でもありですが、とにかく“らしさ”を追求して下さい。例を挙げれば、
・襟章を外した折襟ギムナスチョルカに赤星帽章付きウシャンカ、チェラグレイカだけどベルトと弾薬盒は独軍鹵獲品
・兵科色フラーシュカに将校装備、乗馬ズボンだけど上衣は徽章を外した独軍鹵獲服、PPShを持つ
とか、そんな感じだと嬉しいです。
パルチザン戦イベントのためだけに、わざわざ独軍装備を買えないよ・・・という方は、赤軍装備で記章を外す、軽装にするだけでも雰囲気が出るのではないでしょうか。


 【地元パルチザン】
 服装規定と言っても元々一般市民ですので、当時のいわゆる“私服”各種をベースに赤軍軍装・独軍鹵獲軍装を取り混ぜたものになります。

 <被りもの>
 ハンチング・キャスケット(いわゆるレーニン帽)・作業帽・ソフト帽・ウシャンカ(耳あて付き毛皮帽)・クバンカ(コサック毛皮帽)・パパーハ(同)・フィンカ(フィンランド風毛皮帽)等
 全て1941~42年当時に存在した形式のもの。
 ※皆様が自前で購入した、もしくは購入予定のものに関しては、とりあえず画像をupして下さい。
 当イベント主催メンバーの総意で使用可・不可を判断させていただきます。
 現代的な材質・色・デザインのもの使用不可。
 前述の赤軍敗残兵服装規定のもの使用可。
 独軍鹵獲品の使用例はあまり見かけませんので、とりあえず使用不可とします。
 ただし、略帽等使用例が無いわけではないので、どうしても使用したい場合は要相談(その場合、徽章は全て外して下さい)

 <民間被服>
 背広・党員服・作業服・各種セーター・ストレートズボン・乗馬ズボン等
 ※皆様が自前で購入した、もしくは購入予定のものに関しては、とりあえず画像をupして下さい。
 当イベント主催メンバーの総意で使用可・不可を判断させていただきます。
 現代的な材質・色・デザインのもの使用不可。
 前述の赤軍敗残兵服装規定のもの使用可。
 M36・M40・M41・警察服等独軍鹵獲品使用可(徽章は全て外して下さい)

 <防寒服>
 パリトー(外套)・チェラグレイカ(綿入れ服)・ベケーシャ(ライニング外套)シューバ(毛皮外套)・皮ジャケット・皮ハーフコート・皮コート等
 全て1941~42年に存在した形式のもの。
 ※皆様が自前で購入した、もしくは購入予定のものに関しては、とりあえず画像をupして下さい。
 当イベント主催メンバーの総意で使用可・不可を判断させていただきます。
 現代的な材質・色・デザインのもの使用不可。
 前述の赤軍敗残兵服装規定のもの使用可。
 コート等独軍鹵獲品使用可(徽章は全て外して下さい)

 <下着>
 折襟シャツ・立襟シャツ・ベラルーシ民族ルバーハ(シュスターのシビリアンパルチザンシャツ)・その他民族ルバーハ(お祭りシャツ)等
 全て1941~42年に存在した形式のもの。
 ※皆様が自前で購入した、もしくは購入予定のものに関しては、とりあえず画像をupして下さい。
 当イベント主催メンバーの総意で使用可・不可を判断させていただきます。
 現代的な材質・色・デザインのもの使用不可。
 前述の赤軍敗残兵服装規定のもの使用可。
 シャツ等独軍鹵獲品使用可。
 靴下よりパルチャンキ(足巻き布)推奨。
 絶対に露見しない部分の下着は現代品でOKです。

 <靴>
 民間用サパギー(長靴)・民間用バチンキ(アンクルブーツ) ・毛皮ブーツ等
 全て1941~42年に存在した形式のもの。
 ※皆様が自前で購入した、もしくは購入予定のものに関しては、とりあえず画像をupして下さい。
 当イベント主催メンバーの総意で使用可・不可を判断させていただきます。
 現代的な材質・色・デザインのもの使用不可。
 前述の赤軍敗残兵服装規定のもの使用可。
 長靴・アンクルブーツ共に独軍鹵獲品使用可。

 <装備>
 基本的に前述の赤軍敗残兵服装規定と同じ。
 独軍鹵獲品使用可。
 全て1941~42年に存在した形式のもの。

 <兵器>
 基本的に前述の赤軍敗残兵服装規定と同じ。
 独軍鹵獲品使用可。
 民兵用後備兵器使用可(帝政モシンナガン・帝政マキシム機関銃・マドセン軽機関銃・三八式歩兵銃等)
 ※三八式歩兵銃は初期型(WWⅠ当時の形式)推奨、太平洋戦争タイプの場合はダストカバーを外す等それらしくして下さい)
 全て1941~42年に存在した形式のもの。

 <まとめ>
 こちらも“らしさ”が重要となります。
 ハンチングに背広、ブーツがよくあるスタイルですが、シャツを民族ルバーハにしたり、上着を独軍鹵獲服にするなどしても面白いでしょう。
 赤軍敗残兵ばかりではパルチザンに見えませんので、民間被服をお持ちの方はぜひ挑戦してみて下さい。

 【市民(村の住人)】
 一般市民(1942年段階のベラルーシの農民)
 上記、地元パルチザン規定から軍装品要素を無くしたものとお考え下さい。

 【補足事項】
 <НКВД>
 НКВД(内務人民委員部)は原則禁止とします。
 国境警備隊敗残兵は若干名なら可ですが、要相談(その場合、徽章類は外す事推奨)

 <海軍敗残兵>
 海軍将兵の敗残兵は若干名なら可ですが、要相談(その場合、徽章類は外す事推奨)

 <独軍鹵獲品>
 独軍鹵獲品に関しては、スウェーデン及び東独改造軍服は不可です。
 なるべく出来の悪いモデル品の使用は避けて下さい。
 独軍側規定よりは甘くしますが、せめてHiki製等のそれなりのものでお願いします。



 以上です。
 尚、この規定を作成するにあたって、エレファントパンサー氏のご提案された原案を元にさせて頂きました。(というか丸写し)
 この場をお借りして厚く御礼申し上げます。



 2017年02月22日:銃器に関する規定を若干改定しました。




タグ :装備規定


Posted by ベラルーシパルチザン戦実行委員会  at 01:22 │Comments(0)ソ連側の規定

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